当サイトの趣旨と相反する題名であるが、紛れもない本音がこれである。
そもそも私が「食」に意識を向けたのはここ最近の話であり、食べ物に意識を向け過ぎるストレスと食べ物が身体に及ぼす悪影響、どちらが実際のところ身体に悪いのか計算のしようがなく、大事なのは個々の線引き(いわば自己判断)だと当サイト内の各所でも再三述べている。
にもかかわらずこのようなサイトを運営(食をことさら意識)している理由のひとつは、自身の心身的不調がこれまでの食生活に起因しているのではないか、と疑っている点。
さらには昨今の法改正等でよりガバガバになってしまった日本の農薬や添加物への規制について、情報を得たからである。
健康長寿な人の中に、何を食べても「無敵」な人たちがたくさんいることは重々承知している。私の祖母も実際そうであった。
しかしながら、ではその子供は? あるいは孫は? までリサーチしたことはない。食品添加物や農薬等の薬剤は即効性があるものではなく、自分の将来、あるいは自分の子孫へ影響を及ぼすような、遅効性のものかもしれないのだ。
仮に、代々何を食べても大丈夫な人がいるとして(実際いるだろう)、それはその人の、ある種特殊能力かもしれない。先天性のスキルなのか、幼児期の食生活に由来するのか、もっと違う日常の考え方・行動なのか、調べるのは難しい。
その特殊能力(すなわち「何を食べても大丈夫」)を自らも身につけられれば、そんな素敵なことはないだろう。普段から「食」に気を遣っている人にしてみても、これは共感してもらえると思う。
だが、気になることが一点ある。
それは「食べたいもの」が「本当に食べたいと思うもの」なのか、だ。
頭で今「〇〇を食べたい」と思っている状態は、果たして本心なのだろうか。
頭がそう思っているのだから本心だろう、となりそうだが、自分の本心など分からないと私は思う。
腸は第二の脳とよく言われるように、腸内細菌の働きによって、私たちの思考が変化すると考えているためだ。
このことを考えるとき頭をよぎるのは、カマキリである。
泳げないカマキリがなぜ水に飛び込むのか――。それは、寄生しているハリガネムシの影響だと言われている。
この現象を、はたしてカマキリの本心と呼べるのだろうか。同じように私たち人間も、腸内細菌・腸内環境・はたまた町内環境によって、自身の本心を操られている可能性はないだろうか。
結局、これらの答えは出ない。だからこそ、個々人の線引き、食べることを考えることが大事になるのではないだろうか。私は問題提起をしているだけである。
情勢や経済(あるいは時間)的な理由で、食べ物を選べないことは、ままある。
それじゃあ身も蓋もない話になってしまうから、さらに飛躍した私見をあえてひとつ述べたい。
無敵(何を食べても大丈夫)状態に近づくためのおまじないが、この国には存在すると私は思っている。
「いただきます」そして「ごちそうさま」だ。