身体への影響を加味して一年ほど前から始めた食品選び。しかし逆にそこから生じたストレスがこのブログを始めるきっかけとなった。
「身体に良いもの」を意識するあまり生じるストレスは侮れない。手間もさることながら、経済的な負担ものしかかってくるからだ。
ではどちらを取るか、という判断に迷う際常々思うのが、加工食品や飲料の原材料表示に「水」が慣例的に含まれていないという点。
日本の水道水がいくら安全だと言われても、PFAS、トリハロメタンといった物質は目に見えない。そもそも、水質検査はどこで実施されているのか。頻繁に各家庭や製造工場の蛇口から出た水を検査しているわけではあるまい(少なくともうちにはその手の検査を担う方の来訪は現時点で一度もないと記憶している)。
仮に前述の物質を無視したとして、地下に埋没された上水道管の内部を我々が目にする機会はそうそうない。いや、だからこそ私たちは「水」を飲めるのかもしれない。
つまるところ、現実問題として我々消費者は(あるいは製造者も)、無色透明な「水」あるいは「海水」を信じるしかない。「清濁併せ呑む」覚悟が必要なのだ。
ならばできうる限り「濁」を減らしたい。
くどいようだがこの「濁」が特定の添加物なのか農薬なのか、あるいは経済的負担なのか手間がかかるストレスなのかの判断は、個々によって線引きされるべきであり、またその時々によって変化するべきものだと思っている。
この線引きは他人に押しつけるべきものであってはならない。ただ、一人でも多くの人が、最も習慣的かつ必要な行動である「食べる」について考えても良い時代になっているとも感じている。